「猫が好き」なのと「猫から好かれる」のとは別です。
自称猫好きからしたら 切歯扼腕でしょうけど、
どこへ行っても私には猫が寄ってくる。猫に好かれる。

これは狭山湖にハイキングに行った時 ベンチで休んでいたら

どこからともなく猫が現れ、足の間に横たわった光景。

出かけた先ではこんな光景によく遭遇します。

なかでも長浜の湖畔公園は圧巻だったな。

公園中の猫が 私が座っているベンチ周辺に集まっただけでなく そのうちの2匹はベンチに上って、座っている私の腰にスりスリ。

まわりの観光客が驚いていたっけ。私自身もたまげたけどね~。ど~ゆこと?


2007年7月21日より  その(1)

人は大きく2種類に分けられるとか。いわゆる「ネコ派」と「犬派」です。

定年退職したら田舎に行って犬を飼いたいという主人に対して、いや、絶対ネコを飼うのだと主張する私。
現在のところ、犬もネコも飼おうではないかという事になっていますが、犬を飼う条件として、毛の短い小型和犬である事。

家は小さくても庭は広くーというのが、私の絶対条件になっております。
鎖で繋がれるという生活は、想像するだけで苦痛です。

だから短い鎖で犬小屋に繋がれる生活なんて、未来の我が家の犬には絶対させたくありません。
犬には塀で囲った庭(例え狭くても)の中で、放し飼いにしてやりたいのです。これは私のトラウマになっているのです。

子供の頃、犬と言えば雑種を飼うのが当たり前という時代でしたが、何を考えたのか、母が血統書付きの兄弟犬を買ってきました。最初の頃は珍しがって、いじくりまわしていたものの、すぐに飽きてしまった我々は、犬の世話は母まかせ。

散歩もさせず、糞の始末もせず、外の犬小屋に入れっぱなし。

学校の行き帰りに犬小屋の前を通ると、犬達は狂気のようにしっぽを振り、金網にすがりつき、悲しそうにこちらを見つめていました。「一緒に遊んで」「なでてちょうだい」「私を愛して」そういう無言のメッセージが、大波のように押し寄せてくるのを感じました。
でも自分のやりたい事が他にたくさんあって忙しい。しかもこの犬達はその頃珍しい長毛種で、お手入れに手がかかる。

うっかり犬にかまったりすると、母から、ブラッシングだの犬小屋の掃除だのと言いつけられ、挙句、自分の時間がなくなってしまう。こんな自分勝手な計算で、我々三姉妹は犬達から、遠ざかるようになりました。

自分が犬にひどいしうちをしている、飼い主として責任を果たしていないという意識は確かにあって、

そのうち「犬」自体が、重い存在、苦手な存在になりました。
この2匹が死んだ時、悲しいというより、ほっとしたのは事実です。

不実で無責任な飼い主の自分を認識させられる…という苦痛からやっと開放されたのですから。

その後、実家では二度と犬は飼いませんでした。その代わり、ネコはいつでも我が家にいました。

なぜか、いつでも三女が捨て猫を拾ってくるのです。我が家はネコを歓迎しました。
呼んでも来ない。気分じゃないと、抱かれるのをいやがる。一人の時間を楽しむ。マイペースで行動する。愛情を強要しない、クールなたたずまい。ネコのそんなところが、我々三姉妹の感性にぴったりだったのでしょうね。

犬は絶対の信頼の目で飼い主を見つめますが、あの信頼がとても重い。犬たちの裏表のない、愛情の深さが…。

とにかく重かった。
だからこそ「犬」がいいという主人。
だからこそ「犬」は苦手という私。
貴女は「犬派」ですか、「猫派」ですか?

 

2007年7月29日より   その(2)

私の学生時代ー昭和30年代前半から昭和40年代前半の頃の東京のお話です。
その頃はまだ、猫の避妊手術とか予防注射といった事は一般には行われず、街中に野良猫や野良犬がたくさんいた時代でした。
いつも捨て猫を拾ってくるのは三女でした。長女の私と次女は、捨て猫を見かけたことがありません。

だから連れて帰ろうかどうしようかと悩んだ経験がありません。

三姉妹で同じルートを辿って登下校しているのに三女ばかりが、その帰り道で捨て猫を見つけてしまうのです。

おずおずと腕の中の捨て猫を母に見せて「飼ってもいいでしょ?」と聞くのが三女。

「かわいそ~。飼おうよ~。」と強烈にプッシュするのが私。

のんびりやの次女は、「可愛いいな~」と言いいつつ「お世話はしないけど」と一言。

結婚して、別々に所帯を持つようになっても、それは同じでした。

ペット禁止のマンションに住んでいる私は、今まで、捨て猫を見かけたことがありません。だから今だに捨て猫を見かけて、「飼いたいな」と悩んだことがありません。悩んでも「飼えない」という現実があるのです。猫たちは、この断固たる意思のオーラを感じて、私の目の前に現れないのかも。
小さいころから、のんびりやさん(愚図とも言う?)の次女は、ただ今6人家族で毎日が戦争中。これ以上、手のかかるものが家の中に増えるなんて真っ平ごめん。猫たちは、次女の「面倒なものは真っ平じゃ~」という強烈なオーラを感じているのでしょうか。次女の生活圏内で、今まで捨て猫を見かけたことがないそうです。

そして三女。
小さい頃からのパターンをそのまま繰り返しています。

なぜか、住宅街に捨て猫あるいは野良猫が出没するとまもなく、猫たちは三女宅の庭に落ち着くのだそうです。追い払っても、追い払っても戻ってきて、挙句、雨の日には、縁側に座って茶の間を覗き込む…背中を雨に打たれて、とても寂しそうに…。
こうして、結局、根負け(?)した三女は、その猫に、首輪を与える羽目になってしまうんだとか。三女の家には、このようにして飼い猫になった猫たちが、入れ替わり立ち代り途切れることなく暮らしています。
猫たちにはわかるんでしょうね。この家は自分が飼われるべき運命に定められた家だって…?。

 

2007年8月3日より  その(3)

猫たちの一生をみてみると、彼らの運命が人間ドラマと重なって見えませんか?

「残り物には福がある」編
しょっちゅう、子供を産む母猫がいました。産むのは床下です。産まれて暫くしてから、子供たちを引き連れた母猫は家族の前に様子見…といった姿で現われます。
勿論我が家では喚声をあげ、彼らを大歓迎。

「可愛い~」「見て見て、この子、目が青い。」みんなが子猫を抱き上げ、大騒ぎする有様を、母猫は遠く離れたところから、満足そうに目を細めて眺めています。

さっそく八百屋に走って行ってみかん箱を貰ってきます。古タオルを敷き詰め、箱を雨の当たらない縁側に置きます。すると毎度の事なので、母猫は子供たちをそこへ咥えこみ、そこで乳離れするまでの子育てを始めるのです。

いつもの流れですが…小学生の私は、家の塀に「子猫差し上げます。」と描いたポスターを張り出します。

すると、なんとなく人が訪れ、なんとなく子猫たちは貰われていく…ものでした。

あるとき、1匹だけ子猫が残りました。知り合いやつてを頼って、貰い手を捜しましたが、このときばかりは誰も見つかりません。我が家では「捨て猫」という考え方はしなかったものの、二匹飼うのはどうもねぇ~という両親。「困ったもんだわね」という事で、子猫は家族の冷たい視線を感じつつひっそりと、庭先に暮らしていました。

確かに、ブサイクな猫でした。
父猫は近所の黒猫らしい。うちの猫は白猫です。それなのに産まれる子猫たちは金目、銀目、青目という変った目色をしている上、さまざまの大変美しい毛色をして生まれてきました。それがこのたびは、1匹だけ、赤トラが産まれたのです。目も平凡なうす茶色。美男美女の兄弟猫たちの中では、ホント、見栄えが悪い。だから最後まで残ってしまったんですね。

母猫は家族の猫でしたが、この赤トラ子猫は邪魔もの扱いです。首輪も付けてもらえません。もちろん声もかけてもらえません。

こんなふうに家族たちから冷たいあつかいを受けている子猫がかわいそうで、初めて私が積極的にお世話をしだしました。

こっそり刺身や魚の残りをやったり、残り毛糸で首輪をつくってあげたり。

家族が気まぐれに呼んでもこないのに、私が呼ぶととんでくるようになり、それがまた、可愛くもあり…。私にとっては始めての「私のペット」という存在でした。

ところが、ある日、学校から帰ると、いつもは縁側にとんでくはずの赤トラ子猫の姿がありません。母に話すと、母はあっけらかんとして、子猫が貰われていったーといいました。ガーン!!
愛するものを突然失った悲しみ…この擬似体験に小学生の私は涙が止まりません。理屈ではわかっているものの、愛するものを納得しないで失った恨みと悲しみで、その頃の私は少々グレましたヨ。

だいぶ後になってから、母が言ったのですが、あの子猫の貰われていった先というのが隣まちの大豪邸でした。

長い事飼っていた愛犬が亡くなり、がっかりしている妻の為に、急遽、子犬か子猫を探していたというご主人が、私の張り出していたポスターを見かけたのだそうです。(はがし忘れていた!)
頂くお礼に…とご丁寧にも、砂糖を一袋もってきてくださったそうです。こんな事は初めてでした。

子猫たちはひきとっていただくだけでありがたいものです。こちらから引き出物を添えて出すのが筋?それを向こうから「頂きます」と1歩下がって、(ただの雑種ですぞ~?)貰ってくださったわけです。あらら…。物静かで品のいいご主人だったとか。

「結局、あの子が一番いい家に貰われていったようね。人間でも美男美女が必ずしも、一番幸福になるわけではないっていうのと同じなのね。」母の何気ないお言葉が、印象的でした。
あのブサイクでおどおどしていたやせっぽち子猫は、今や、広いお屋敷の庭を我が物顔に闊歩できるお嬢様猫へと出世したわけです。
童話の「めでたし、めでたし」という最後の言葉を聞くたび、あの子猫を思い出します。

 

2007年8月10日より   その(4)

猫たちの一生をみてみると、彼らの運命が人間ドラマと重なって見えませんか?

「終わりよければ全て良し」編

三女が高台の新興住宅地に引っ越しました。
引っ越してまもなく、例のごとく、捨て猫を拾ってきて飼い始めました。名前は「スモモ」です。

これはよくいる黒トラのメス。さっそく、ブランド首輪をつけてもらい、家の中で愛情たっぷりに育てられ始めました。

それから暫くして…三女のところを訪ねた折り、話のついでに彼女がぼやき始めました。

「怖いのよね~。ゴミ捨て場にヘンな猫が居座って、うちのスモモちゃんが通りかかると、シャァ~って威嚇するの。それが、汚いのなんのって。まるで歩くゴミタメみたいな猫。耳はちぎれ、目やにだらけ、あちこちの毛に血がにじんでいる。しかもカラスとゴミをめぐって大乱闘で、怖くっておちおち、ゴミ出しもできやしない。」

帰りがけふと見ると、なるほど、住宅地の真ん中をのそのそ歩く、小汚い毛糸の塊をみかけました。ぺルシャの雑種らしくみごとな白い長い毛をしているのですが、なんせ、野良猫。手入れされていないので、毛が絡まり放題のところに、泥だの血だの埃だのがくっついて、それはそれはひどい有様です。まさしく、歩くボロ雑巾状態。

しかも、じろりと私を振り返る顔の怖いこと、怖いこと!人間を脅しにかかるふてぶてしさは、まさしく野生の動物そのものです。
つりあがった大きな目の周りは目やにで汚らしくくまどられ、大きな口の周りの毛も、汚れて真っ黒。

三女は「カブキ」と呼んでいましたが、なるほどネ~。まさしくカブキの隈取り顔でしたよ。


それから1年ぐらい経って、再び三女のところを訪問したときのこと。あらら?庭に見慣れない猫の影がちらほらと…。「また猫を拾ったの?」
「違うのよ~。困ってるのよ~。カブキが居座っちゃってるの?」「?!」
「この頃スモモちゃんが贅沢になっちゃって、スーパーで安売りしていたキャットフードを出すと残すもんだから、カブキが食べに来るようになっちゃったの。スモモのごはんは台所でやるようにしたんだけど、それでも日に何度も家に来るのよ。」

「ダメねぇ。二度と来ないように根気よく追い払いなさいよ。」「うん。頑張る。」

それからまた、1年後。
訪問した三女宅の玄関先に、長々と寝そべっているのは、カブキ?!

「なぁに、あれ、まだ居座っているの?」

「そうなのよ~。この頃、新興勢力の若い野良が出てきて、カブキはボスの座を奪われたみたい。ひどい怪我して死にそうだったから、つい、面倒みてやったらね~。」

「呆れた!あんなヤサグレ年寄り猫、抱え込んでどうする気~」

若いボスにコテンパンにのされ、テリトリーのゴミ捨て場を追い出されたカブキは、年も年だったんでしょうね。

プライドを捨てて、人間のお世話を受ける気になったらしいです。

始めは餌を置いてやると姿が見えなくなってから食べにきていました。

そのうち、三女が餌皿を持って来てくれるのを待つようになり。

やがて、餌を食べる側にいても平気になり。

最後は三女の姿を見ると足元に飛んでくるようになり…。

三女はある日、古手袋をしてそっと撫でてやったそうな。カブキにしてみれば、人間に「撫でてもらう」という事は初めてだったのでしょう。一旦は逃げ出しかけたものの…この快感はナニ?!気持ちより体の方が正直で、ゴロゴロゴロ音が、盛大に出たそうな。へっぴり腰ながら、しばらくじっとしていたそうです。

そして、一旦経験していまうと、「あの快感よ、再び」というわけで。

今度はお腹丸出しで、「撫でて撫でて!」と催促するように。

でも三女にしてみれば、このぼろ雑巾のような猫に触るのはどうもねぇ…。

それで、毎日、少しずつ、こんがらがった毛をカットし、梳いてやったりし出したそうな…。

私が三女のところに行った時、縁側の端にカブキがいました。私をみると、逃げるどころか、口をニカッと開けて挨拶。

「へへぇ、姐さんにはお世話になっとりやす。」みたいな表情。笑っちゃいました。

以前のカブキとは別猫のような、のんびり穏やかな表情。ずっと飼い猫だったみたいな落ち着き方をしています。

首輪もしてもらって、丁寧にブラッシングされている長い毛がそよ風に揺れてふさふさと…。とっても綺麗。

「はぁ~、この猫、美男子だったんだぁ~。」かなりびっくりでした。

聞けばスモモちゃんのかかりつけの獣医さんのところには「清原カブキ君」というカルテがあるんだとか。

長い事、野良猫をしていたせいでしょうか。キャリーバッグにはどうしても入らないので、仕方なくケイタイで写真を撮って、獣医さんに見せているそうです。やれ、目やにがでたの、皮膚病がでたの、お腹が悪いのと、スモモちゃんと同じように手をかけてもらっています。家の中には入れてもらえませんが(スモモの領分)。

日曜大工の得意なご主人が、犬小屋ならぬ猫小屋を作ってくれていました。

なるほどね~。いい根性してるわね~。
若い頃、さんざ極道して、世間様にご迷惑かけ放題。体力が衰えて行き場所がなくなったら、お人よしの人間見つけて、ちゃっかり飼い猫してる。しかもこんな上等の老後生活させてもらって、すましこんでいて、いいのかいいのかぁ~。お天道様のばちがあたらないんでしょうかねぇ。

 

2007年8月18日より   その(5)

猫たちの一生をみてみると、彼らの運命が人間ドラマと重なって見えませんか?

「女は弱し、されど母は強し」編

ちゃっかり猫のカブキと思っていましたが意外な行動をとりました。
三女が送ってきた写真をを見てびっくり。猫小屋で、前足の間に子猫を抱え込んで
まるで母猫のように子猫を嘗めているのがうつっています??

「カブキが捨て猫拾ってきて、母親し始めた~。」
「だって、あいつ、オスでしょうが。」
「それなのよ。おっぱいがでないもんだから、自分が食べた餌を胃で半分消化したものを吐き出して食べさせてるの。」
「な、なんとぉ、猫の離乳食ですかぁ…。」
「こっちも、これ以上、猫が増えるのは困るんだけどね。カブキが必死に子育てしているのをみるとね~。

取り上げるのもかわいそうだしね~。」

この子猫は、珍しい灰色の毛をしていました。三女の住んでいる住宅街のどこかで飼っているロシアンブルーの落しだねでしょうか。名前は安易ですネー見たまんま。「グレー」です。

三女宅の飼い猫というより、カブキのペット?という存在で三女宅で暮らし始めました。

ともかく、カブキの必死の子育てで、グレーはその後、すくすくと成長しました。

やがて、親の血を引いて、美しいビロードのような灰色の毛としなやかな肢体を持つ、すこぶる付きの美猫(びみょう)へと変化しました。だから名前も変りました。「グレーの美人さん」という事で「グレ美ちゃん」です。

「大変よ~!グレ美ちゃんのお腹が大きくなってきたの!」
「えぇっ?だってまだ1年経ったかどうかでしょう?猫って産まれて1年で妊娠するの?」
「まだ子供だと思ってうっかり、避妊手術していなかったのよ!」
「それより、父親はだれ?まさか、カブキ?!」

論より証拠。
産まれたのは三匹です。そのうちの二匹は、まさしくカブキのミニチュアでした。

「呆れた~。あいつ、マイフェアレディそこのけじゃない。若い娘を小さい時から自分好みのレディに育てて、結婚するって映画のストーリーそのまんま。」

ところが世の中、そう上手くはいかないのよね。ははは。

グレ美は猫小屋で子供を産みました。
カブキが入ろうとすると、シャァー!と威嚇。(それまでは一緒に寝ていましたのにね。)カブキは小屋に入れてもらえません。
餌を出せば、まずグレ美が皿に飛びつきます。カブキも食べようとすると、再び、シャァー!(それまでは仲良く一緒に食べていましたのにね。)
仕方なく女房が食べ終わるまで、カブキは側で待つ羽目とあいなりました。
かっては、カブキの庇護のもと、はかなげなそそとした美人…風情だったグレ美ちゃんは、今や3匹の子猫を従えた堂々とした母猫となり、カカァ天下を始めたわけです。

やがてカブキ似の二匹のハンサムちび猫たちは貰われて行き、1匹だけ残りました。

でも、母猫と息子猫は猫小屋を占有したまま。カブキは入れてもらえません。

見かねたご主人が再び日曜大工を始めました。カブキ用の第2の猫小屋を作ってやる為です。

こうして三女宅のベランダには二つの猫小屋が並ぶようになりました。

そして食事時には女房と子供が一番に食べ、その側らでカブキは大人しく控えて待つーというのがカブキ一家の恒例となりました。

グレ美にとっては、カブキは命の恩人。育ての親。そして夫のはず。しかし、一旦、母となったら女は強い。

これは動物も人間も同じようですね。ほほほ、お気の毒サマね~。

 

2007年8月23日より  その(6)

猫たちの一生をみてみると、彼らの運命が人間ドラマと重なって見えませんか?

「庇を貸して母屋を取られる」編

グレ美ちゃんの子育て騒動も一段落したので、早速、母猫と子猫を、獣医さんのところへ連れて行きました。

早めの不妊手術をしてもらい、これ以上、猫が増えないようにする為です。

やれやれ、これで、やっとほっとできます。
そう思ったのもつかの間。この頃から、カブキの衰えが目立つようになりました。

若い頃からの放蕩無頼の生活のツケがきて、年より早い体の衰えを招いたようです。(男性諸氏、耳が痛いべ~。)

心配した三女は、別メニューを作り始めたそうな。
キャットフードをお湯に浸して柔らかくしたり、細かくした刺身やささ身や竹輪を与えたりといった気配りだけでなく、

年寄り猫には寒さが厳しかろうと、夜にはバスタオルに包んだ湯たんぽを作って猫小屋に差し入れました。
一方ご主人は、猫小屋の入り口に風よけの暖簾がかけられるように追加工事したそうです。

するとグレ美ちゃん親子は、カブキ宅を覗いてその居心地よさに刮目!。
その夜から、ちゃっかり、カブキ宅で過ごすようになりました。

まぁ、窮屈だろうにねぇ…狭い所に三匹でギュウ詰めになって寝るわけですから。

でもカブキは幸せを感じていたかもしれません。とんだところで家庭内別居解決。

家族に囲まれぎゅうぎゅうながら、ほかほか幸せ?

こうして1年目の冬は無事越せましたが、2年目の冬は越せませんでした。
ある日、庭の真ん中で大の字なりになったまま、冷たくなっていたそうな。

これもまた、彼らしい変った最後です。

というのも、今までたくさんの猫を飼ってきましたが、みな、最後の姿は見せませんでした。

猫というのは家族に最後の姿はみせないもの。いつの間にか、いなくなっているものーというのが我々の常識になっていましたので三女はびっくり。

でも、そこは猫好きの夫婦。庭の隅に埋めてやる事にしました。

さらにその上に墓標代わりに、たくさんのサギ草の種を蒔きました。

だから季節になるとそこにはたくさんのサギ草が咲きます。とても綺麗です。

その時、家族はしみじみ、あの変わり者の猫の事を思い出すのだそうです。

若い娘が財産のある年寄りと結婚して、年老いた夫が早々と死んだあとは、残された財産で若後家生活をエンジョイ…グレ美ちゃんを見ているとそんな人間ドラマを見ているようなきがしてきます。
カブキの残した財産=飼い主を受け継いだ彼女は、今や堂々とした「清原グレ美ちゃん」です。

しかも、その美貌と愛嬌で、「清原さんちのグレ美ちゃん」として隣近所からも認識され、愛されているそうな。

なでられても平気な上に爪も立てない。部屋まであがりこまない。糞を庭にしない…等々。

小さな子のいる家、年寄り夫婦の家。グレ美ちゃんのテリトリーは拡大するばかり…。

こうなってみると、カブキとはグレ美ちゃんが幸せな猫生活を送るための、布石の役目を負っていた猫だったのでは…おばさんはつい、うがった見方を、してしまうんすがねぇ…。

ちなみにカブキを追い払って、ゴミ捨て場を乗っ取ったのは「もんめ」と呼ばれる猫です。

「あの、悪モンめ!」と呼んでいたのが名前の由来とか。近頃、「もんめ」が三女宅近辺をうろついている事が多いとか。
「ほら、見なさいよ。貴女の家は野良猫間で(面倒見のいい家)もしくは(猫の養老院)として、認識されているに違いないって!」

猫が夜になると一箇所に集まるのを知っていますか?猫の夜集会です。

近所に住む猫たちの顔見世、もしくは情報交換場所ではないかーと推測されるのですが。あそこで絶対、三女宅の情報が流れているんですよ~。「年とったら、清原さんちに行けば面倒みてもらえるよ~」とかなんとか。

三女もこれ以上、猫を引き取る余裕はないので「もんめ」を断固無視しているそうな。

美人若後家グレ美ちゃんですが、避妊しているので、まさか「もんめ」を後釜の夫として受け入れるはずもないでしょうけど、この頃「もんめ」は空いているカブキの小屋を利用しているので、もったいないけれど、小屋は早々に撤去したとか。

そして、この「もんめ」の登場は、もう1匹の猫「スモモちゃん」に、とんでもない形で不幸を招く事になったのです。

 

2007年8月30日より  その(7)

猫たちの一生をみてみると、彼らの運命が人間ドラマと重なって見えませんか?

「風が吹けば桶屋が儲かる」編

スモモちゃんは、拾われてすぐ避妊されたメス猫です。
神経質でわがまま。産まれてすぐ人の手にかかって育ったグレ美ちゃん親子が、人に対して寛大で鷹揚なのとは大違い。
かなり大きくなってから拾われたせいでしょうか。撫でられたり抱かれたりするのが大嫌い。家族以外の人に対しては過剰なまでに敏感です。ほとんど家の中にいて、たまさか近所をお散歩する程度の引っ込み思案。近所の猫に会おうものなら、一目散に飛んで帰ってくる小心モノ。そのくせ、飼い主が優しくて過保護なものだから家の中では、我儘し放題。

寝る時も夫婦の間に寝て、首だけ布団から出して寝ています。まるで人間の親子が川の字になって寝ているような塩梅。

もしかすと、自分を猫だと思っていないのかも。

家族が旅行のときはペットホテルで1泊5千円のお泊りなんですとォ~。

「あの悪モンめ!」という事で「もんめ」と呼ばれるようになった野良猫が、主のいなくなったカブキの小屋に居座るようになったので、小屋は早々に撤去しました。ところが今度は、グレ美ちゃん親子の住む小屋を狙うようになりました。親子が留守の間、しばしば小屋に出入りするようになったので、親子の小屋も撤去する事にしました。

親子には、それまで外で与えていた朝晩のごはんを台所で食べさせるようにし、夜になったら寝場所をリビングの隅に作ってやる事にしました。
最初は夜だけのはずだったのに、昼になっても親子はなかなか外に行きたがりません。そりゃそうよね。
家の中って、冬は暖房でぽかぽかだし、第一、「コタツ」という猫族垂涎の場所があるんですものね~。

夏は夏でエアコンがフル稼動。毛皮の身にとってはとても快適な空間のはず。

追い出そうとすると二匹とも必死で逃げ回るんだとか。

こうしてそれまで「スモモちゃん」のテリトリーだった1階のほとんどがグレ美ちゃん親子に占領されてしまいました。

親子の留守中に1階に降りていくと、そこには不愉快な他の猫の匂いが充満している。飼い主の体にも他の猫の匂いがびっちり染みこんでいる!(自業自得ですヨ。だって親子とも、撫でられたり、抱かれたりするのが大好き猫ですから)

「スモモちゃん」は「突発性神経障害」あるいは「乖離性神経障害」を起こしたようです。(今、スポーツ欄をにぎわしているアレよ)(大笑)
今まで甘噛みをしていたのに、しばしば本気で噛み付くようになり、挙句、10円ハゲまでできたとか何とか?
そして「もんめ」によって引き起こされたこれらの騒動は、皮肉な事に「もんめ」によって、解決される事となるのですが…。

2007年9月17日より  その(8)

猫たちの一生をみてみると、彼らの運命が人間ドラマと重なって見えませんか?

「人間万事、塞翁が馬」編

それまでほとんど家の中で過ごしていた「スモモちゃん」ですが、残念無念。1階のテリトリーを奪われてしまいました。

2階だけの狭いところで暮らす羽目となり、鬱屈して「突発性神経障害」あるいは「乖離性神経障害」を起こしています(笑)。

事ここに至ってようやく、外へ出て、ストレスを発散する必要性に目覚めたようです。

一方、グレ美ちゃん親子は夏の間は、昼間はエアコンの効いたリビングでほとんど寝て過ごします。
「さすが(寝子)といわれるだけの事はあるわね~。」妹が変な感心をするくらい、見事に寝っぱなしーなんだそうです。

でも暗くなって外が涼しくなり、晩御飯をたらふく食べた後は、台所の扉の前で二匹揃って「ニャァニヤァ」。

戸を開けてくれーというわけです。こうして夜中じゅうお出かけする…のが、親子の2007年度、夏生活パターンです。

家は山の高台にあります。住宅街の周囲は自然がいっぱい。
グレ美ちゃん親子には、猫族にも、人間族にもお友達がたくさんいるようで、夜は色々と忙しそうです。
朝方、帰宅しますが、その時には「スモモちゃん」が1階に降りてきて、夫婦と朝ご飯中。
ご主人が9時半に出かける時に、「スモモちゃん」も一緒に正面玄関からお出かけするのですが、それまで家の中には入れてもらえません。二匹揃って大人しく、勝手口の前で待っています。スモモちゃんがお出かけして初めて、勝手口を開けてもらうのですが
「ま~、夜中、どこで何をしている事やら…親子揃って、鼻の頭が真っ黒なのよォ~。」
専用のタオルで丁寧に全身を拭いてもらい、その後やっと家の中に入れてもらいます。ようやく、朝ごはんーです。

一方「スモモちゃん」は親子が夜のお出かけをするまで昼間は帰ってきません。

ただ、驚いたことには、帰ってくる時には必ず、「もんめ」が一緒なのです。

昼間も二匹でつるんでいるところを、しばしば、見かけるとか。
「遊んでくれている?みたいなのよね~。」…??

「もんめ」は、朝は「スモモちゃん」がお出かけする時、玄関前で待機。
でも高ビーで我儘娘の「スモモちゃん」は、そんな「もんめ」の横っ面を一発。
猫パンチをくらわせてから、つんけんして気取ってお出かけ。
それなのに、「もんめ」ときたら、大喜びの風情で(人間ならさしずめ、ニタニタしながら)後を追いかけていくそうです。

猫の「アッシー」くんという感じなのでしょうかね。
「もんめ」が妹宅にしばしば現れていたのは、美人若後家「グレ美ちゃん」がお目当てではなく、「スモモちゃん」がお目当てだったようです。

「うちの我儘娘に付き合ってくれて、申し訳なくて…。」という妹は、近頃では、「スモモちゃん」を家に入れたあと、そっと「もんめ」に晩ご飯を出しているそうな。おいおい、また猫が増えたわけですかぁ~。知りませんよォ~。

 

2007年9月14日より   その(9)

「身代わり小太郎」編1

このブログの左にある猫の絵が「小太郎」です。
水彩を習っての三作目ぐらいの絵です。水彩ソフトはパソコン教室で授業の一環として習いました。

簡単なツールの説明だけで、2時間ずつの授業が3回。それでオシマイ。
先生に「ツールの使い方は説明できるけど、絵の描き方は教えられないから」と言われ、挙句、教室としては、もう授業はしないからと言われてしまい、がっくり。

もっとやりたいなと思いましたから。「興味があるなら、個人で続けなさい」との事で、仕方なく、インターネットで検索。
一番近いのが青山教室なのを知って、月2回の割りで通い始めました。水彩を続けようと思ったのは「小太郎」が描きたかったからです。今までたくさんの猫を飼ってきましたが、中でも「小太郎」は忘れられない猫でしたから。

母方の祖母は1ヶ月に1週間のペースで我が家に滞在していました。長男夫婦のところに同居しているのですが、

そこはそれ…娘の嫁ぎ先の方が気楽なのでしょうね。

本音では同居したいところなんでしょうが…長男夫婦の世間体もあるので、毎月1週間だけ、我が家に来ていました。

家は都心にありながら緑の多い住宅街でした。当然、虫が多い。お盆シーズンになると、家の中に黒アゲハが迷い込んでくることもしょっちゅう。
そんな時「ご先祖さまが、遊びにいらっしゃった!」と祖母は大はしゃぎ。私たちも当前のようにそれを聞いていました。

前世とか生まれ変わりとか…ごく普通の話として、家族の会話に出てくる家庭でした。

実は母は「犬派」の人間です。でも肝心の子供たちが「犬はいや、猫がいい」というので仕方なく、折れただけです。

本音は、猫が大嫌い。
家の中には父の趣味の骨董品がいたるところに並べられていました。

猫は飼ってもいいが、骨董品を傷つけてはいけないので家の中には入れないーと言うのが母の主張です。

家に入れた時は入れた者が、責任を持って家から出すことーと厳命されていました。
例え厳寒の夜でも最後に寝る者(大抵が子供たち)が、猫を家から出し、猫はベランダの片隅に置かれたダンボール箱の中で寝ていました。

「小太郎」は黒トラのオス。いつものように三女が拾って来ました。どこといって特徴のない、まぁ、普通の猫でした。

普通なら名前も覚えていなかったはずの猫です。

次女がW大にストレートで入学し、三女が高校3年になっためでたいはずの夏休み。夏休みが始ってすぐのこと。
次女の友達が免許をとり、車も買ってもらったので、次女だけでなく三女も誘われて、伊豆にある彼女の別荘へと3人は出かけていきました。

その日、私は家の近くにある品川プリンスホテルのプールに泳ぎに行っていました。

その頃のホテルのプールというのは、宿泊者以外は余り利用しなかったところです。

だから近所に住む私が泳ぎにいくと、豪華なプールはほとんど貸切状態。

しかも軽食としてホットドッグかおにぎりもついていました。ほんとー穴場中の穴場でしたよ。

誰もいないプールサイドのデッキチエアでのんびり本を読んでいると、ボーイさんが私を目指してすっとんでくるのが見えました。

そのとたん、何かよくない事が起きたのを感じました。
「○○様ですか?至急ご帰宅下さいとの伝言です。」
急いで家に帰ると、家の中で祖母が呆然と留守番をしていました。
「伊豆で交通事故を起こしたんだって。」
新車を運転していた若葉マークの友達が、スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれず、車が横転事故を起こしたというのです。

 

2007年9月13日より  その(10)

「身代わり小太郎」編2

夏休み旅行に出かけた妹たちが横転事故を起こして1ヶ月。
二人の妹達は伊豆にある温泉病院に入院したまま。完全看護とはいえ、娘二人が入院しているので、両親は時間の許す限り、かわるがわる見舞いにでかけます。
家族の中で唯一元気だったのは、祖母。
3ヶ月ほど、気詰まりな長男夫婦の家を出て、大事件中の留守番という錦の御旗を押し立てて、我が家に堂々と長期滞在。主婦替わりーとして大活躍できたからです。(実際の家事全般は住み込みのお手伝いさんがやっていましたから 提供したのは口だけですが…)

そんな慌ただしく落ち着かない日々の中、ふと、気がつくと「小太郎」の姿が見えません。
ダンボールハウスに帰っている様子もありません。祖母に聞いても、お手伝いさんに聞いても、みな姿をみていないーとの事。気にはなりましたが、家の中がざわついているので、すぐ忘れてしまいました。

夏休み最後の頃には、比較的軽症だった三女が父に連れられて帰宅。何とか、二学期開始に間に合わせる為です。猫好きの彼女はすぐ気がつきました。
「小太郎はどうしたの?」「いつからか、姿が見えないんだけど…」「ふ~ん?」

それから2ヵ月後にはやっと、次女が退院してきました。但し、父も母もがっくりしていました。
実は退院時。担当の先生から、「お嬢さんは、右鎖骨から上腕にかけてひどい怪我をしたので、今後は右手は肩から上には上がらなくなるでしょう。」と宣告されたからです。「嫁入り前の娘がこんな体になるなんて…。」母は泣いてました。

ある日、いきなり「小太郎」が縁側に姿を見せました。
あばら骨が浮き出るほど痩せこけていたので驚きましたが、さらに驚かされたのは、右足が半分ほどぺたんこになっていたからです。骨ごとつぶされている感じ。つぶされた足は、皮1枚でぶらぶらつながっている状態?!
「これは車に轢かれたのね。」
「どこかで傷が治るまで、じっとしていたのね。」

とにかく蒸しタオルで拭いてやり、ミルクや猫マンマを与え、「よく帰ってきた。偉い、偉い。」撫で回していると、突然、祖母が一言。「これは身替りになったのね。」

可愛がっているペットが飼い主の身替わりをするという話はままある事ーと、祖母が話し始め、それを聞かされた家族は半信半疑。ペットが家族と同時期に交通事故にあい、同じような箇所に怪我を負うー確かに不思議な偶然ですが…。

「小太郎が身替わりになったんだから。○子(次女)の怪我もじき直るわよ。」と祖母は自信たっぷりに宣言しました。
(実際、現在の次女は姑、小姑、子供二人のいる六人家族。大車輪で専業主婦しています。もちろん右手は全快。一生上がらないといわれた右手なのに、バンザイも可能。高いところの荷物も出し入れ自由。いい年をしてバンドのグレイの追っかけもしております。とりあえず祖母のご託宣は的中したわけです。)

「小太郎」はその日から、(茶の間と仏間の二間続きの南側にある内縁側)という家の中では最上のスペースに、大きな藤籠を与えられました。ここが新しい寝床です。内縁側に置かれていた母ご自慢の君子蘭の大鉢は、はじに追いやられ、「小太郎」の餌皿、トイレ、藤籠が新しい場所を占めました。

家族は食事をダイニングキッチンのテーブルで済ませますが、お茶を飲んだり、テレビを見たりといったくつろぎ時は、掘りごたつのある茶の間で過ごします。
茶の間に誰かいる限り、「小太郎」は藤籠から出てきて寄り添います。
怪我をして心細いのもあるでしょうが、行けば家族はみんな、宝物のようにやさしくあつかってくれるからです。家族の膝の上で丸くなるのが大好き。人間が談笑しているのを子守唄がわりに聞きながら、誰かの膝の上でうつらうつらしています。
心の底から安心し、幸せそうです。もちろん夜になっても家の中にいられます。(大抵三女のベッドにもぐりこんで寝ていましたが)

「小太郎」は猫というより、一番下の弟…といった位置を与えられました。我が家では「家族の一員として扱われた初めての猫」となりました。

その後実家は1年に三度引越しをしました。元の家は皇后美智子さまの実家の近くにありました。都心の古い住宅街でいいところでしたが、開発が進み、周囲が騒がしくなってきたので、引越しを決めたのです。

郊外に新しい家を購入したのですが、その頃、方位に凝っていた母が、直接そこへ移るのはよろしくないと占い師にいわれたとか。半年は自由が丘、残る半年は目黒に仮住まい。1年後にやっと、新居に落ち着くという変則的な引越しをしました。

「犬は人に付き、猫は家に付く」と言われていましたので、心配しましたが、小太郎」は3度の引越しを乗り切りました。
というのも、引越しのたび、三女が「小太郎」当番したからです。3回あった引越しですが、その都度、三女が「小太郎」を入れた藤籠をしっかり抱いて「小太郎当番」しました。「何もしなくていいから、小太郎だけみていてね。」と家族に命じられた三女がつきっきりでお世話したわけです。

最終的な引越しも無事完了。
「小太郎」も新しい家にすんなり慣れ、その頃には右足が半分ない状態ながらでも、元気に庭を駆け回れるようになっていました。それでも三本足になったせいでしょうか。庭から外へは決して出ようとしません。
そんな「小太郎の庭」に他の猫が来たりすると、「小太郎」は唸り声を上げて知らせます。すると、家族は総出で庭へ飛び出し「こらっ!出て行け」と大声で脅し、石を投げつけ、それはもう大騒ぎ。まさしく小さな弟をいじめから守ろうとする家族そのものでした。今、考えると苦笑モノですが、あの時はみな、大真面目でしたよ。

最後は病気でなくなりました。
そのころ市場に出始めたドライタイプのキャットフードで猫が膀胱炎を起こす事件が多かったのですが「小太郎」もソレになったのです。(味噌汁ぶっかけの猫マンマの方がよかったのですよ。きっと)手術はしたのですが、結局、再発悪化して病院で亡くなりました。

新居には庭の真ん中にしだれ桜の大木がありました。「小太郎」はその根元に埋められました。絵の背景に桜の花びらが描き込まれているのは、「小太郎」がしだれ桜の根元の陽だまりで、よくうつらうつらしていたからです。

ペットを虐待したり、放置したりという話を聞くと心が痛みます。彼らはイザという時、本当に飼い主の為に身を投げ出すだけの覚悟があるような気がしていますから。
2007年9月29日より その(11)
「哀愁のオヤブン」その1

チャイムが鳴ったので玄関をあけると、そこには、困った顔をした母が立っていました。
「これ、何とかしてくれない?」
足元を示すので見てみれば、そこには大きな白い猫がうずくまっています??。
「何、この猫?」
「知らないわよ~。いきなり現れて、そのままくっついてきて離れないのよ~。」
猫嫌いの母はうんざりしている。母は猫が大嫌いなのです。
猫ときたら、いい加減で、ものぐさで、飼い主のいう事なんぞ、どこ吹く風のマイペース。
飼い主に忠実で誠実さが売り物の犬とは大違い…だから猫は大嫌いーというのが母の主張なのだ。よりによってこんな猫嫌いの母に付いてくるなんて…なんて変わった猫?

「追い払ってよ~。」
門を閉めようとしたのに、半分体を挟まれたのに、痛がりもせず、そのまま無理やり押し入ってきたそうで。
「大人しいわね。どこかの飼い猫なのね。」
おぉ、よしよし…私が撫でようと手を伸ばしても、動じないでじっとしている。人間を恐れていない。叱られたり、はたかれたりしたことがない育ちらしい。
母が玄関に入ると、白い猫も当然のように母に付いて入ってきた。とりあえず、抱き上げて風呂場へ。濡れたバスタオルで全身や足裏を拭いている間も、大人しくされるがまま。なんておっとりしたいい子なんでしょう。

その頃我が家には、またまた三女が拾ってきた子猫が暮らし始めていました。
小太郎亡き後、捨て猫たちは、内縁側に置かれた藤籠で暮らすようになっています。
そこに連れて行って、子猫が使っている餌皿にキャットフードやミルクを入れてやったのですが、ふんふんーと言った感じで匂いを嗅いだだけ。食べようとしない。その後は茶の間を珍しそうに眺めているだけ。
やがて着替えを終えた母が茶の間にやってきて、自分のお茶の用意をし始めると、しずしずとその側らに歩み寄り、ゆったり香箱を作って座り込んだのです。
「この子はママを飼い主と間違えているんじゃない?」
「首輪をしているから、どこかの飼い猫なんでしょうけどね。」
「いやに落ち着いているから、きっと小さい子供のいない年寄りだけの家の猫よ。」
「それにしてもでっかい猫ね。下手すると、お隣のダックフンドといい勝負よね。」
ワタシたちががやがや話している間も白い猫は、静かに目を閉じたまま。
猫が動いたのは、母がダイニングキッチンへと去った時です。母が流し台で調理を始めたら、その足元に座り込み。ガス台の方に移動したら、猫もそこへ移動。
「何、この猫!邪魔だから、そっちへ連れて行ってよ!」
母が怒りだしました。妹が慌てて、茶の間に連れてきて、ドアを閉めると、猫は不思議そうに我々を見あげます。でもドアの前に座り込むードアの向こうの母の気配を感じていたいらしい?

暫くして母が茶の間に入ろうとドアを開けたとたん
「うわっ!なんでこんなところにいるの!危ないじゃない!つまずくところだったわよ。二階へ連れていきなさい。」怒られた我々は仕方なく猫を二階へ連れていきました。今まで抱いた猫の中では一番重い猫ですねぇ。続く…
2007年10月7日より  その(12)
「哀愁のオヤブン」その2

あの時代(昭和30年前後)は、迷子猫や迷子犬を預かるのはそう珍しい事ではありませんでした。
通りに面した電柱に「迷子さん、預かってます。」という張り紙を出しておくと、大抵、1週間くらいで恐縮した飼い主が引き取りにやってくるーというのがパターンでした。
今のように個人情報云々という、うるさい制約事のない時代だったので、張り紙にはこちらの住所や電話番号を明記していました。
ところが今回、この白い猫に関しては、1週間過ぎても、何の音沙汰もありません。仕方ないので、我が家のある私鉄の駅とその前後の3駅にお願いして、構内に張り紙をさせてもらいました。(駅員も建前など振りかざさず、のんびりしていましたからね)これなら、飼い主も気がつくであろうと…だが、いくら待っても問い合わせはきませんでした。

「困ったわね。」と母。
我が家にはもうすでに、1匹の捨て猫が拾われていました。(毎度、おなじみ。三女が拾ってきました)
「もう少し、様子をみてましょう。」という事になったものの、家族は飼い猫が二匹になるのを、なんとなく覚悟しました。この頃にはすでに、この猫は「オヤブン」と呼ばれていました。

猫はテリトリーに他の猫が入ってくるのを極端に嫌います。しかしこの白猫は、実にかわっていました。とにかく、鷹揚で、堂々としていました。
庭に他の猫が入ってきても、目をそらしたり、威嚇声をだしたりしないどころか、穏やかに会釈?
御用聞きや、配達人が庭先にきても、我関せず。縁側で香箱をつくったまま。頭上で品物がやり取りされても知らんぷりで目を閉じています。
玄関先で母がご近所と話をしているときは、まるで家族の一員のようにその場に加わり、静かに話を聞いている様子。
「いやぁ、おとなしい猫ですね~。」みなさん、一様に、驚かれ「ほほほ、変わった子でね。」そう母が答えるのが常となりました。
(この口調。まさしくワタシがカイヌシ…という愛情ある口調。母が猫に関してこんな口調で話すのを聞いたのは初めてでした。ちょっとびっくりしたのを覚えています。)

藤籠に二匹で丸まって寝るようになっていましたが、オヤブンは巨体なので、お尻と長いしっぽが籠からはみ出してしまいます。
そこへ二匹が無理やり入り込んで寝ているのを見るに見かねた母は、とうとう大きな藤籠を買ってきました。
(これにもびっくり。私たちが対応する前に、さっさと手配するなんて。んまぁぁ~?)

オヤブンは右目は金目。左目が青い目という不思議な目をしていました。白い短毛の巨体をして、性格はとにかく、大人しいの一語につきます。赤いちりめんの首輪にも、育ちのよさや飼い主の愛情が感じられていたし、何と言っても一番の特徴は、母に異様なまでに、なついていたことです。

母が台所にいれば、その足元に控え、洗濯ものを干しに二階へ行けば、自分も、二階へ駆け上がるといったアンバイ。
母がコタツでテレビを見ていれば、その側らに香箱を作って控え、勿論、トイレ中はドアの前に控える。
母がお出かけの時は、自分はお見送り。(他の家族の為にはそんな事はしないのにね)我が家は坂のてっぺんにありましたが母が、門から出ると、その坂のてっぺんに座り、坂を下りた母の姿が駅の方へ曲がって見えなくなるまで見ていました。
母が帰宅すると、門から玄関まで歩いてくる足音でわかるのでしょうか。玄関まですっとんでお出迎えに。
膝の上にのしかかってくる事もしないし、(巨体なので前の飼い主は嫌がったのかな?)
夜は子猫と藤籠で大人しく寝ているし、ご飯の間はテーブルの下で大人しくしていて「ちょうだい」もいわないし。まぁ、「大人の猫」といった感じでしたね。

やがて、母の姿あるところ、オヤブンは必ず足元にいる…という風景が当たり前になりました。オヤブンというよりまさしく「コブン」といった感じなのですが…母と「オヤブン」のおかしな凸凹コンビは1年半ほど続きます。

やってきた時も突然でしたが、いなくなるときも突然でした。
今度は「迷子猫を探しています。」と言う張り紙をほうぼうの電柱に貼り付けましたが、音沙汰ナシ。勝気の母は「いなくなってせいせいした。」と言っていましたが、家族の誰もが、その言葉の裏にある想いを確実に理解していました。
窮鳥懐に入れば猟師もこれを助くーと申します。猫大嫌いの母ですが、さすがに、あそこまでなつかれれば、きっと…。

我が三姉妹は順番通り、結婚しました。次女が結婚したあと、父が亡くなり暫くの間は母と三女だけで暮らしていましたがその三女も結婚したので、とうとう、母は一人になりました。
暫くして、私が実家を訪ねてみると…なんとまぁ!アメリカンショートヘアーの子猫がいます。
「どうしたの?ママは猫が嫌いだったんでしょ?」
「犬でもよかったんだけど、散歩が面倒だから。」
答えになっていない母の言葉に思わず、くすっ!

しかし、猫にも個体差があります。
だからペットショップで飼ったこの血統書付きの高額な子猫は、母の期待するものを全て裏切って、さんざん手を焼かせました。
手を焼かせるから、余計可愛いーと思う母ではなかったので、暫くしてこの子猫は友人に貰われていきました。

母はきっとオヤブンを思い出したのでしょう。
ただ、大人しく、ひたすら寄り添っていた慎ましいオヤブン…。今、このような場にオヤブンがいてくれたら、どんなにか母の心は慰められたでしょうか。ペットは癒しになるというけれど、母にとっての癒しになりうるペットは、唯一、「オヤブン」だけのような気がします。
そして、「オヤブン」は遠い思い出の中にだけ、存在している。それに改めて気がつかされた母は、その後二度とペットを飼おうとしませんでした。