2006年4月からブログに連載した我が息子のオハナシです。今や40歳を過ぎて3人の子持ちとなり たくさんの部下を抱えていっぱし気取りの息子ですが、中高時代はこんな風だったのね~と懐かしいやら、おかしいやら。


2006年4月8日より その(1)

3月のてんやわんや騒動がひと段落して、ほっとしたところに、折りよく主人の出張が・・。しめしめ。久しぶりにお一人様温泉旅行ができるわいーとるんるん支度を始めたところに息子からメールが。結婚式のあと、ご祝儀を半分預かっているのですが、「忙しいので実家に取りに行く暇がない。誰がいくら包んだか書き出して、中身は口座に入金して欲しい」ーだと。「ばかもん!そんな事は自分でやるもんだ」とソク返信。すると愚息は「馬鹿とはなんだ。いいよ。それなら自分でやるよ!」これだから体育会系の男は嫌いなんだ。わが息子ながら、どうしてこう、鈍感なんだーとがっくり。結婚したら、家計の全権を握りたいのが新妻でしょうが。嫁としたら、姑がご祝儀を開封し記録した上、中身を計算して送金するなんて、絶対いやですわ。うらみこそすれ、感謝するなんてとんでもない!さらに、こんな事母親に頼む夫ってマザコン?・・と疑われそう。そういうところまで考えが及ばない愚息は、28歳にもなってまだまだ未熟なんですわ・・あ~ぁ。お嫁さん、お願いしますよ。こんな馬鹿息子ですが、どうか見捨てずに育ててやってくださいよぉ・・・旅行先の露天風呂で夜空を眺めながら、前途多難を憂いつつ、ため息の連続でございました。

 

2006年4月14日より  その(2)

七転八倒の初産のあと、看護婦さんから「おめでとうございます。男のお子さんですよ」と赤ん坊を手渡されたとき、思わず「うっそ~!」と叫んでしまった私。年の近い三人姉妹で育ち、中学高校と6年制のミッションスクールで育った事もあり、子供ができたとわかった時から、生まれるのは100%女の子ーと信じていましたので、息子が産まれた喜びより戸惑いのほうが大きかったのです。男の子なんて1から10まで不案内。というわけで息子の行動にいちいち驚きながら「ふ~ん、男の子ってこんな風なんだ?」学習しているような子育て生活でした。8ヶ月の記念写真を撮っている時いきなり歩き出したのを見ても、他の子より早く歩けたーと近所に自慢するママでなく、かなりクールに「ふ~ん、運動機能がすぐれているんだ・・・」
この運動機能に優れているというのがクセモノでして、つまるところ、学校から帰ると玄関にランドセルを放り投げて暗くなるまで遊びまわるという事につながるわけでして。泥だらけで帰るので、帰宅するやいなや風呂に直行。もちろん腹ペコなので、ソク、夕飯。腹がくちくなり、遊び疲れているので8時には就寝。お稽古事はいっさいせず、もちろんお勉強などもってのほか。小学校を卒業するまでこの規則正しい生活?が続きました。これでよかった事は息子が、「人と一緒にいるのが大好き人間」になった事。周囲に溶け込んだり、協調する事が得意であるーというのは、将来社会に直接かかわる機会の多い男の子にとっては、最大の長所だったと思います。但し、欠点も・・・6年間の成績表は、みるも無残でしたわ。とほほ・・。

 

2006年4月21日より  その(3)

運動機能に優れている(?)というのは、本人が自分の運動能力を過信しがちーになるという事でもあります。お盆に主人の実家に帰ったときのこと。愚息は農家のだだっぴろい納屋で年上の従兄弟たちと遊んでいました。大きな従兄弟たちがひょいと跳んで渡った土間を、ちびすけの愚息も真似して跳ぼうとしてまっさかさまに転落。運悪く鎌の上に落ちて顎を切りました。台所でお茶を飲んでいた私は義姉に呼ばれて納屋に駆けつけて、びっくり。「大変だぁ、顎を切った!骨が見える!」側に突っ立ている主人と義兄の顔は真っ白。(ははぁー紙のように青ざめるというのはこういう事なのね。初めて見たわぁ)と頭の隅で妙な感心をしながら、愚息をみると、金切り声を上げて泣き喚き、大パニック。「うるさいっ!黙りなさい!」とたん、静かになりました。「パパ、救急車呼んできて」「お義姉さん、血止めするきれいなタオルあります?」それから愚息に説教。
①人間が怪我した時泣くのは、周囲の人に緊急事態だ、助けて欲しいと知らせる為である。周囲が怪我したと気が付いてくれたらもう、泣く必要はない②泣いても痛みがとれるわけではない。泣いて無駄なエネルギーを使わないで、エネルギーは怪我が早く治るように残しておくべきである③顎は触るとわかるように、皮膚の下はすぐ骨なんだから、切ったら骨がみえるのは当たり前だ。骨が見えたからと言って、驚くほどのことではない④顎には大動脈がないから、この程度の傷で、死ぬの生きるのという事態にはならんよ⑤泣くと心臓がばくばく動くから余計出血する。こういう時はむしろ、にこにこして、なるたけ静かにして出血しないように心がけるべきだ
これらは愚息にーというより、血を見て卒倒しそうな主人と義兄、従兄弟たちを落ち着かせる為に言った言葉です。そのうち救急車がきたので、にこにこしながら息子に言いました。「救急車に乗れるなんてすごーい!よーく中をみて、後でお友達にに話してあげましょうね。」鳩が豆鉄砲くらったような顔の愚息は救急車へと乗り込んでいきました・・おしまい。
この騒ぎの後、田舎では(三男坊の嫁は肝っ玉が座っとる)というハナシが定着しましたがそれは大違いなんですわ。私はすこぶる小心モノです。去年、初めて胃カメラ飲んだときは恐怖のあまり、胃カメラ咥えたまま、涙と洟汁を流しながらベッドから飛び降りて逃げ出そうとして看護士さんに取り押さえられるという醜態をさらしました。結論。女は弱し、されど母は強しーいう事なんでしょうか・・・・?

 

2006年4月28日 その(4)

愚息は次の夏休みもまた、救急車のお世話になりました。友達とプールに行ってはしゃいでプールサイドで走ったので、滑ってころんだ挙句、頭のてっぺん近くを切ったのです。買い物から帰った私は、留守電のメッセージを聞いて、びっくり仰天。あわてて病院に迎えに行くと、包帯で頭をぐるぐる巻きにされた愚息は、すやすやと気持ちよさそうにベッドで寝ていました。一緒にいた友達が口々に私に訴えます。「おばさん、ヒロ(愚息の名)は頭を打っておかしくなったらしいよォ。頭から血を流して顔面血だらけなのに、、ずう~っと、えへへ、えへへ~って笑っているんだよォ。気味が悪かったよォ。」(あちゃ~・・・)
つまり愚息は、前回の顎切り事件の時、私に言われた事を思い出したんでしょうね。ここはひとつ、余計な出血しないよう、静かにしているべきだーと思ったんでしょうね。まぁー間違ってはいないけどねぇ・・・・友達はもちろん、駆けつけた監視員さんも救急車の方も、治療に当たった病院の方も、救出に当たった皆さん全て・・・・えへへ、えへへ~と笑い続ける愚息を見て、さぞかし気持ち悪かったでしょうね。(冷汗)
さらに次の年はオートバイと衝突。また救急車のお世話になりました。たぶん、この時も、えへへ、えへへ~と笑いながら病院に運び込まれて行ったんでしょうね。
そんな愚息もいまや28歳。身長180センチ近いむくつけき大男となりました。
私が何か言うたびに「お袋は、世間知らずだから」と、私の意見にいちいち文句をつけてきます。その、肩に力の入ったわけしり顔を見る度「ふんだ!怪我するたび、間抜け笑いしていたアホのくせして、何、ぬかす!」おなかの中でつい、せせら笑ってしまう大人気ない母親なのでございます。(反省)

 

2006年5月13日より  その(5)

息子が6年生の時のこと。妹が大ポカをして息子を怒らせました。(これは親がみても妹のほうが100%悪かったけど)当然のように兄弟喧嘩となりましたが、いつまでも怒鳴りちらす息子。ぎゃぁぎゃぁ泣き喚く妹。いい加減うんざりした私が
「もう、その辺で許してあげなさい。」

台所から怒鳴ると、一瞬息ひるんだものの、それでもこのバカ妹を許すーという事にはどうにもこうにもガマンできなかった息子は、暫く間をおいてから「いいよ。許してやるよ。但しオレ様の股の間をくぐったらな!」腕組みして大股開きで妹に迫りました。

すると涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を上げた妹は、「それで、許してくれるの?」「・・?あぁ、許してやるよ。」

やるよーの最後の言葉を聞くやいなや、妹は四つん這いになりあっという間に、息子の股の間をくぐりぬけました。

 

「お、おまぇ・・・」あまりの素早さに「おまえにはプライドがないのか?」あ然とする息子を振り返りもしないで テイッシュケースを引き寄せた妹は、ちーんと鼻をかいだ後、

「それじゃぁ、これでおしまいーという事で。」すたすたとその場を去っていきました。


後年になって妹は言いました。「お兄ちゃんって、おかしいよね。股の間をくぐったくらいでプライドが無いなんて。そんな事でなくなるようなプライドだったら、最初から無いも同然でしょうが。プライドってもっと別の次元にあるもんじゃないのぉ?」

これは集団生活や社会ルールを大事にする男性と「花より団子」式現実主義を余儀なくされる主婦予備軍の女性との違いなのでしょう。男性にとってプライド=体裁は、社会生活を送るにあたっての必要不可欠事項です。プライドとは、人から尊敬されたい、一目おかれたい、だから頑張るんだーそこいらへんに、付随して存在するものらしい。


でも女は違います。特に主婦は24時間勤務です。仕事もくつろぎも一緒の場。男性のように「5時だ、仕事オシマイ」のような切り替えができない仕事をしています。特に子育て時には待ったがきかない。ぐたぐた言うまえにミルクを飲ませ、オムツをかえなくちゃならないし、真夜中に熱をだしたり、病気や怪我といった予測不可能な事態にスムーズに対応しなくては、母親はやっていけないのです。今夜の献立を考えなくちゃならない、スーパーのタイムサービスにいかなくちゃならない、ー待ってくれず、評価されない24時間勤務の仕事が延々と続くので、女性の脳はしっかり現実主義。

しかも「原始、女性は太陽であった。そして、未来永劫、太陽なのである。」という実体感が連綿と続いた遺伝子の中にしっかり組み込まれているので、土下座したり、股の間をくぐったくらいで傷つくようなプライドは女性には存在しないのですよぉ~。男性諸君!

 

2006年5月19日より その(6)

息子が中学生になりました。小学校は歩いて5分ほどの近さでしたが、中学はもっと近い!何と、隣ですぞ!

母親としては、男の子なので背が伸びればいいなーぐらいの安易な考えで、バスケット部を勧めました。

ところが入学してからびっくり。ここは曰くつきの部でした。

顧問はオリンピックの元補欠選手だったという、歩く赤鬼といった感じの大男の先生。おざなりになりがちな部活動の中で唯一、厳しい練習で名をはせている部だったのです。新入生達からは敬遠されて、入部したのは息子を入れてたったの4人。人数が少ないので、一度入ったら止められない部ーでもあります。

今まで父親から、大声をあげられたり殴られた経験のない息子は、連日のように鬼顧問から「バカ、うすのろ、間抜け、死ね!」と怒鳴られ、スリッパではたかれる事となりました。しかも家が隣なので、朝練サボリは不可能・・というわけで、何のことはない。小学生時代の繰り返しの毎日と相成りました。

朝練と放課後にある通常練習で、くたくたになった息子は毎日10時にはベッドに直行。爆睡・・・。家と教室と体育館の往復で明け暮れた、文部省の推薦を受けそうな極上健康的すぎる息子の中学時代。

でもその結果は国語の「この文章は何を表そうとしているか」という問いかけには「そんな事わかるか~。アホ!」と答えるし

「この作者は何を言わんとしているのか」という問いかけには「言いたい事あるんならはっきり言えよ~。ボケ!」という回答しかできない思考回路となっていったのであります。

今ではだいぶ大人になりましたが、それでも、こういう愚息を好もしいと解釈し結婚してくれたお嫁さんにはただただ、感謝するばかりの私なのでございます。テルコさん、返品不可能ですよ~。宜しくお願いしま~すよぉぉぉ・・・

 

2006年5月31日より  その(7)

息子が高校生になりました。小学校は歩いて5分ほど。中学は、隣。高校もまた、歩いて3分という近さです。高校でもバスケット部に入りましたが、この頃から特に、男の子だけでかたまって遊ぶようになり、「女なんかと遊べるか」などと、えせバンカラを気取るようになりました。

さらに反抗期も加わったようです。最初は歯ブラシを家族の分から離したり、玄関で靴を遠くにおいてみたりとご愛嬌だったのですが、そのうち「女の後には風呂に入らない」と冬のさなかにシャワーだけでお風呂を済ましたり、洗濯物の別洗いを要求したりするようになってきました。おやおやと思っているとーある日、二つ年下で、成績優秀、この頃めっきりきれいになってきた妹がこ面憎かったんでしょうか。泣かしました。

しかもその言い草ときたらー憎らしいったらありゃしない。

「女は毎月生理があるから生来汚いもんなんだ。だから神聖な山なんか女は登れないんだぞ。そんなお前がオレ様に向かってしゃべりかけるんじゃない。汚い息がかかるから、こっちむいてしゃべるな」・・・カーチン!(私の頭が切れた音)


息子を手招きして別室へといざないました。まだ、鼻息荒い息子の前に白い紙を広げ、おもむろに図を書き出します。

何の図かって?ー子宮の断面ですわ~。

淡々と子宮の部位説明と生理及び受精、妊娠、出産までの説明をしました。

最後にしらっと結論を。「貴方はママのおなかの中に10ヶ月いてから産まれたわけだけど、じゃ、その10ヶ月間の間、ご飯はどうしてたの?まさかおなかの中で箸やフォーク使ってご飯食べてたわけじゃないでしょう?どうやって栄養とって成長してきたわけ?」「??・・!!!!」

「そうよー貴方が汚いという生理とは、赤ちゃんの為のごはんです。貴方は10ヶ月の間、ママのおなかの中で、それを食べていたわけ。生理があるから女は汚いって、じゃぁ、それを食べて産まれてきた貴方って、何だっちゅうの~」

「・・・!!!!!!!!!」  
愚息は、二度と「女は汚い」というバカなセリフを吐かなくなり、以後、きわめつきのフェミニストになりましたとさ。おーほっほっほ(勝利の高笑い)

 

2006年6月10日より   その(8)

団塊の世代のお仲間なら「女学生の友」という雑誌を覚えていらっしゃるでしょう。かくいう私も三姉妹で育ち、女子高に6年間いたせいで、あの雑誌に登場する男子学生たちを現実のものーと信じて育ちました。そこに登場する男子高校生は、イケ面なのはもちろんの事。主人公にいじわるする敵役の美人の本質をしっかりみきわめ、誘いを一蹴し常に公平でまっすぐで、主人公を支える・・・・といった存在でした。素敵でしたね~。まさに日本版高校生用ハーレクインロマンスでしたよ。
ところがいざ、男の子を育ててみれば・・・ありゃりゃ??息子が中学3年生の頃です。「ママ、有難う。親父と結婚してくれて。俺は親父そっくりに産まれたせいで、もてまくってるよ!」そうなんです。世間では「息子は母親に似るもの」と言いますが、我が家ではその反対。息子は主人に瓜二つ。(母親としては、好みのタイプの男性が家に二人もいるので、毎日るんるんでしたけどね。まさに一粒で二度美味しい生活?)背が高く痩せていてスポーツ万能。、醤油顔で鼻が高いーという、ジャニーズ事務所から声がかかりそうな息子でしたが、育てていく母親としては、毎日が「ありゃりゃ?」の連続。「なんだ、ハナシと全然違うじゃないのぉ~」     
育てていく過程での息子の珍妙なエピソードの数々は「愚息ものがたりシリーズ」を読んでいただければおわかりのとおり・・・つまり、外見の完成度と中身の完成度とは一致しないのであります。当たり前といえば当たり前なんでしょうけどね。私としては「裏切られた」感が強いのでありま~す!結婚した頃の主人はもう社会人でしたから、常識もあり違和感はなかったのですが、息子となると、ゼロからのスタートですからね。男性というものの見たくないもの全て見てしまったーという感じがあります。つくづく母親って、ソンな役割だと思うことしばし。世間がヨン様ブームで沸き立っている中、「どこが、いいの?」と1人しらけていたは、このせいです。

 

2006年6月16日より  その(9)

いよいよ最終回となりました。
最後に・・・・このブログの事を、当の息子は知りません。それでもいつかどこかで読む機会があったら、その時の為に一言。
「ごめんね。ママの更年期障害で迷惑かけたねぇ。」


以前、息子がまだ家にいた頃、よくぼやいていました。

「俺って、反抗期なかったんだよなぁ」。

それを聞くたび心の中で「どうもすいません」「ごめんなさい!」というのも・・・・息子が高校1年生になる頃から、私の更年期障害が始まりました。のぼせ、めまい、不眠、鬱ー更年期の症状は色々ありますが、私の場合はそれらではなく、感情の起伏が激しくなる症状がおきました。困ったことに、ちょっとした事でも大泣きしてしまうのです。

「今日の弁当のおかずなんだけどさぁ~」息子の声に少しでも非難めいたトーンを感じたとたん、「うわ~っ!!」と号泣。まな板に突っ伏して泣き出してしまうー自分でもおかしい、泣くほどの事ではないとわかっているのですがーどうにも止められないのです。

「風呂が熱くねぇんだけどぉ~」それだけで、廊下にしゃがみこんで号泣。

「チキショー、雨降られた。傘、持って行けばよかった。」それだけで、玄関先に倒れこむようにして号泣。

(今、思い出すだけで赤面)何か言うたび、号泣する母親を見て、息子は縮み上がってしまい、以降、極力、言葉に気をつけ、話をするようになりました。

おかしなもので息子が高校を卒業する頃には、私の症状も治まりました。というわけで、息子の反抗期は、母親の更年期障害騒ぎにまき込まれてしまい、結局、不発なままに終わってしまったのです。女の涙がトラウマになっている可能性大。今後の人生で、営業&演技うそ涙に騙されないよう、ひたすら祈るばかりです。

追記:

結婚した時、お嫁さんにアドバイスしました。

「利口なオンナは夫婦喧嘩なんかしないもの。ダンナを思い通りにしたかったら、対立しちゃダメ。

ひたすら低姿勢で ほめておだてるべし。童話の「北風と太陽」を思い出して実行しなさい。

それでもダメなら うそ泣きしなさい。絶対 貴女が勝つからね。だって あの子は女の涙にめちゃ弱いからな~。